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日韓スワップ [雑記]

  食べ物やペットの事ではないブログなのでスルーされて結構ですよ。 なんの力も無くそろそろ墓場に片足を突っ込もうとしている人間のタワゴトとお許し下され。

   雑誌「Hanada」に日本に帰化した石平氏の「朝鮮半島が日中戦争の発火点になる」を読んだ。韓国こそが朝鮮半島の揉め事に他国を巻き込み、トラブルメーカーになって来た、と言う歴史的事実を書いている。

 有史以来、如何に東アジアに混乱をもたらして来たか、古代から自国の生存ために他国を巻き込み周辺事態を緊張化さてきたか。常に歴史の被害者であることを強調し、慰安婦問題、強制労働問題、これでもかと日本に揺さぶりをかけている。

 解決済みの慰安婦問題も一人1000万円、遺族に200万円を我々の税金から支払うらしい。 

 歴史を直視せよと言って居るかの国にこそ、その言葉を返したい。

 その上立ち消えになっていた日韓スワップ、また決定の様です。私の頭ではとても説明できないので今日読んだブログをご紹介しますのでお時間のある方は読んでください。とても解り易いです。

     http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/d/20160828

 

    どうも腹の虫が治まりません! 何処まで日本ってお人好しなんでしょうね。 またむしり取られるんじゃありませんか?脅せば金がいとも簡単に入るんですからね。ホントに!!


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丸木美術館 [絵画]

 台風9号が通過翌日、以前から行きたいと思いながらなかなか行けなかった「原爆の図 丸木美術館」に行きました。 展示物の写真カメラ禁止と聞きましたが、その様な断りも目にしないし、入場者も4,5人なので、多分シャッターを切る人も中には居たでしょう。 私の下手な説明文より興味のある方は赤文字をクリックしてください。

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 道中大きな案内看板もなく、美術館に続く細い道は、前日の台風の影響で木の枝が道に覆いかぶさっていました。大きな実を付けた栗の木がまだ青いまま真二つに割れて倒れて居たり、背の高い皇帝ダリアも花は無かったもののすっかり倒れて居ました。

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 夏は9時開館で私達は真っ先に入館しましたが、建物が古いので雨漏りのためスタッフがバケツやモップを持って大童でした。

 階段の上り口に団扇が数本壺に挿して有り、お帰りにはお返しくださいと有ります。

 これは冷房は無いな、と暑がりの私は直ぐ思いました。 案の定、展示室の隅で扇風機が首を振って居ました。

 階段に昇降機が有るのを見ましたが、足腰の悪い人はきついでしょう。私も階段を上がれるうちに来てよかった、と思ったところです。建物自体が古いので全館空調設備など出来ないのでしょうね。

 大きな作品群は空調もなく柵もなく、手で触れるような所に有り、貴重な作品がよく今まで無事で居る事が不思議です。原爆投下後3日目に広島へ赴き、数えきれない程の悲惨な遺体や光景を目にしたスケッチから生まれた壮大な絵に脅威を感じました。

 ご夫婦は実に30年以上の歳月をかけて全15部の原爆の図を完成させました。15部の「長崎」は長崎原爆資料館に有ります。 

  反戦を謳うこのような作品に反感を抱いている輩が少なくともいるであろう現在、貴重な作品の無事を祈らずにはいられませんでした。

 和紙に水墨なので油と違って作品自体は強いのでしょう。それにしても、このような作品群が中央の美術館に常設され、もっとみんなの眼に触れれば、等と思いました。 

 

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 丸木夫妻がアトリエとして使っていた建物だそうです。

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 内部、改装したのでしょうか?

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 丸木夫妻のお住まいだったそうで今はご遺族がいらして、イベントの時に利用さするそうです。

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 アトリエの向かいは都幾川で前日の台風ですっかり 河原の草が倒れて遠くシラサギが見えました。

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 敷地内の原爆観音。 

 行きたい、行きたいと思って居た所、遅ればせながらやっと実現しました。 

 

 


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戦前、戦後の記憶 [雑記]

 終戦(敗戦)から71年、早いですね。 あの日やはり暑い日でした。

 第二次大戦で亡くなった方は軍人、民間人、飢饉.病気など合わせて総数5000万~8000万人。8500万人の統計も有るそうです。 夥しい数ですね。

 私は無事に生き延びて今日に至っていますが、壮絶な死で亡くなられた方のご冥福を祈らずにはいられません。一人一人の人生が断ち切られてしまった無念さは想像をはるかに超えたものでしょう。 

 年々戦争体験をした人が減って約二割しかいないそうです。

 

  私のほんのささやかな記憶だけれど。

 

 戦前は池袋に住んでいて戦争をしていたなんて知らなかった5歳ごろ、よそ行きは真っ赤なセーラー服のワンピースの袖に当時同盟国だったドイツの元になったプロイセンの鷲のマークが刺繍してありました。

 省線に乗ると鼻の大きなドイツ人の夫人が綺麗な扇子で扇いでいた姿が記憶にあります。 

 サーカスを見に行けば数頭の象がおでこに日の丸を付けて、いっらっしゃい、いらっしゃいと頭を上下させていました。

 その時はまだ平和な日本だったのでしょう。ウチには蓄音機もあって童謡を聴いたり、滑り台や木馬が有って近所の友達が遊びに来ていました。 

 そのうちにいつの間にか庭に防空壕が有っり、近所の主婦たちが防火用水でバケツリレーの訓練をしているのを眼にする様になりました。 

 「空襲警報発令!」と繰り返し外で叫んでいる声を聞き、電灯の周りに黒布を掛けてある 電気を消してひっそりとしていました。連夜、灯火管制がひかれました。 

 枕元には炒ったお米を入れた靴下や、持って逃げられる荷物を置いて寝ました。 

 空襲警報のサイレンが鳴るとやっと歩けるようになった弟が「鳴った!」と言って飛び起きたのをよ~く覚えています。 夜中に町内で非難する防空濠へ何度も避難したことも有りました。  自宅の庭の防空壕はトタンを乗せた物なので、爆撃に遭えば蒸し焼きになる事必至でしょう。

 

 比較的裕福な生活が一変、戦争が激しくなる前に、私一人父の実家である京都は綾部に行かされました。入学前でありながら寂しいと思った記憶はないんですよね。 たまに兵隊さんが来て塗り絵なんか一緒にやった記憶が有ります。

 今でもはっきり覚えているのは、空襲警報があると、裏の横穴の防空壕へ籐椅子を運んで 医者である白衣の祖父をお殿様よろしく、叔母たちが避難させていたことです。上空を仰ぐと敵機が数機飛んで行くのが見えました。

 暫くして生まれて3か月の妹を背負い、3歳の弟を連れて、機関銃で穴だらけになった列車に鈴なりの人と一緒に東京から幾つもトンネルをくぐって、やっとたどり母と再会しました。

 汽車の油煙で真っ黒になった母の顔を「お母様の顔、おわんみたい!」と言った覚えが有ります。ホント塗りのお椀のような色をしていたのでした。

 父は東京に残っていたので、気難しく厳しい祖父と小姑二人がいる生活は、私達3人の子供を抱えた母は随分辛い思いをしたようです。 精神的な物が生後3か月の妹の飲む母乳に影響が出て緑便が止まらなかったそうです。

 長い事いられずに 父の実家を離れて紆余曲折の後、父がキンダーブックと言う絵本の仕事をしてた関係でいち早く疎開していた絵描きさんを頼って東京の西のお寺の分院にに疎開しました。

  東京からの疎開者は農家の納屋などに住んで居たようです。 どうやって引っ越しの荷物を運んできたのか、今でも解りませんが、お寺の庭に荷物を広げると「東京人が来た、疎開が来た」と沢山の人が集まって来ました。

 その当時田舎ではは珍しかったミシンや寝かすとママーと泣く可愛い「ママー人形」、沢山の紙(当時紙もなかった)など田舎の人には珍しい物ばかりだったのでしょう。

 戦後アメリカの払い下げのバターが配給になり、食べる物とは知らずに大八車の車輪に油代わりに塗っていたのですからその生活振りは推して知るべしでしょう。

 「東京人」と言われて苛められる人も居ました。 幸い医者の祖父から貰ってあったオデキに良く効く軟膏などが有り、近所の子供のトビヒ(オデキのような物)に父が塗って上げて治ったり、お絵かきの紙を上げたり、特派員でマニラに行っていた叔父から送られてきた石鹸(貴重だった)を上げたりしていたので、私達は苛められずに済みました。

 母はリュックに自分の着物を詰めて今で思うと川越あたりだったのでしょう、サツマイモと交換に行って居ました。

 毎日サツマイモ、それも現在の様に美味しい物ではなくて、名前が農林1号なんて言って居ましたね。体に良い事は分かっていても、どうもサツマイモは今でも苦手です。 

 お寺の分院にはお風呂が無かったので、近所の農家にお風呂を貰いに(昔はお風呂に入れてもらう事をこう言った)行きましたが、これがみんなが入って後なのでおうどんの茹で汁の様。 今の様にシャワーなんかない時代。

 父が遂にドラム缶でお風呂を作りました。入る時は円形にした板に乗って沈みます。周りに触ると熱いので気をつけて。子供だから入るのが楽しみでした。

 当時は肥料なんかないので、畑に汚わい(糞尿)を撒いて居ました。近くの大工さんがウチの汚わいを汲んだだお礼に木端を持ってっ来るのでそれがドラム缶のお風呂の燃料です。 

 そのお寺から小学校に入学したんですね。 茶色の皮で金色のキンダーブックのロゴ?が入ったランドセルを背追い、防空頭巾を下げての出で立ちでした。

 お寺を引き上げて家を買って引っ越したところで終戦を迎えました。

 二つ上の近所の男の子と遊んで帰ると母が「○○ちゃん、日本が負けて戦争が終わったのよ」。良く理解できませんでした。

 原爆の事も暫くしてから知りました。

 兎に角着る物もなく衣料切符、食料も切符で配給された物を受け取ります。配給された落下傘で母は絞りの三尺の帯を作り、ロープをほどいて少ない毛糸と一緒にセーターを編みました。

 学校では今思うと恐ろしい、DDTと言う殺虫剤を頭から振り掛けられました。当時田舎は特に不衛生で、私の隣の子なんか髪の毛にビッシリ虱が付いていました。

 おさげをしていた私の髪をひっぱて「ジンケンケーロイ、ジンケンケーロイ」って。意味がさっぱり解りません。母から貰った紫色のリリアンを持って居たらそれを頂戴、と言う意味でした。 そんな事言っては悪いけど、まるで女の子も山猿でしたよ。

 

  後日、当時池袋駅に降り立って唖然としたと父が言っていましたが焼け野原で四方遠くまで見渡せたとの事。ウチの周りも全部焼けていたそうで、家は売ったのか、どうやって手放したのか分かりません。 親は子供を抱えて必死に避難場所を探してのですね。

 この年になって、今こうして居られるのは命からがら、逃げる場所を確保した両親の判断と行動力があったからだと思います。

 私の叔父二人も戦死しました。 亡くなられた方達のご冥福をお祈りいたします。 

 ほんの少しの記憶の一部を日記として残します。 


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変わり映えしない日常 [雑記]

 昨日、今日と凌ぎやすい気温ですが、それでも30度。30度を涼しく感じるんですから、如何に今迄の気温が高かったかですよね。 でもまだまだ暑さが続くんでしょう。

 それでも、夜は秋の虫が鳴き始めていてビックリです。

 

 妹の連れ合い始め、息子夫婦 娘、合計4人の誕生日が8月なのでプレゼントを買いに行く途中だ、と言って採りたて野菜を届けてくれました。

 妹の連れ合いは長年障碍者施設の学校を退職した後、75歳にも拘らずまだ必要とされて働いています。

 その間にソフトボールをやり、家庭菜園をやり、見よう見まねで始めた野菜つくりは、もうベテランの域に有るかも知れません。

 台所で出た生ごみは捨てずに畑で利用するそうで、無農薬の為、たまに虫が出てくる時もありますが、形は悪くても野菜の美味しさが凝縮されています。

 妹宅では毎日こんな新鮮な野菜が食べられるんだと思うと羨ましいです。収穫し過ぎて食傷気味だなんて贅沢を言って居ました。 

 

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 オクラは生で刻んでオカカとお醤油でもち麦ごはんに乗せて、美味しかった! 見てくれが悪かったトウモロコシは甘くて味が凝縮していてホントに美味しかったです。 太陽の下で赤くなったトマトも買った物とは全然違うし。

 

 暑さの為外出が恐ろしくてすっかり運動不足になって居ます。 入れた「ポケモンGO!」も家に中では面白くもないし、出現したポケモンの写真を撮ろうと、モタモタ操作していたら手持ちのボールが無くなって仕舞いました。道具のボールが無くては何も出来ません。 

 歩いてボールを探しに行きたいけれど暑いので当分ダメです。

 で、取った写真がこれ

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 涼しくなったら再開しようかな、と思って居ますが。

 

 変わり映えしない日常、早く涼しくなってくれないかな、と思いながら6月に植え替えた折鶴らんの葉っぱが異様に大きくなって涼しげなので写真に撮りました。

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 ポトスは20年くらい前にお花の寄せ植えの一部であった物を、伸びる度に切って水耕栽培して沢山増やしたもので、もう一鉢有ります。  古いポトスにはぽん太の残した歯形がついていました。

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 水墨画展の案内状を頂きました。 森川先生は篆刻もなさるので私の雅印を作って頂きました。余白を残した絵も素晴らしいですが、文字がまたユニークで素敵です。何年か前ご病気と聞いていましたが、お元気でご活躍なんですね。いつも着物姿で男性としては小柄な先生です。 

 新宿かぁ・・・行けないかぁ? お会いしたいなぁ。 

 


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馬のエサの様に大量 [雑記]

 昨日はアッツイ、アッツイ猛暑の立秋でした。

 まだまだ猛暑が続くようで外出するのが恐いです。

 そんな中、勇気を振り絞って(大げさ?)胃の内視鏡生体組織診断の結果を聞きに行ってきました。

 

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 棒線の所が気になりましたが、生体組織検査の結果は異常なしでした。医師によると以前ピロリ菌がいた部分が「萎縮」 したのでちょっと膨れた状態だと。 異常はないと言う事で一安心でした。年に1回は内視鏡検査をした方が良いそうです。

 

 私は食事には気をつけているのに、年と共に便秘がちになっています。そこで腸を整える漢方薬を処方して頂きました。その際、薬の処方箋を電話でお願い出来ないか聞いてみましたら、よく、電話で処方箋を出す所が有ると聞くがウチではしません、ときっぱり。

 その代り3か月分を出しましょう、と処方箋を出していただきました。次回は11月4日に予約を入れました。

 暑い中、もう一軒、耳鼻科へクスリを貰いに足を延ばしました。

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 馬のエサの様に大量な薬。胃腸科の薬3か月分と、耳鼻科の薬1か月分です。

 買い物バッグを用意して行って良かった。暑い道中、日傘をさしているのでこの袋が結構重たくて汗ダラダラ。やっとの思いで家にたどりきました。もう少し歩いていたら熱中症になって居たかも。

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 あまりに重かったので測ってみました。 大した重さじゃなかったです。でも、重かった!

 疲れちゃったのでお昼寝をしましたとさ。

 

 

 


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パインアップル [植物]

  早くも8月ですね。

 今年は9月に入っても暑さが続くと言う予報でしたが、あと2か月「暑い、暑い」の連発です。

 市の健康診断期間が後期は8月~10月なので、早々に8時に家を出て行ってきました。昨年、「無気肺」なんて初めて聞く病名を疑われましたが、今日のレントゲンで大丈夫でしょう、と言われ一安心。

 毎年体重は増えて背が縮んでいる[たらーっ(汗)]先月患った膀胱炎は蛋白マイナスだった。

 電車で行ったので道中暑かった!! 帰宅が11時で朝食抜きだったのでお腹が空き過ぎ。

 

 中村紘子さん に次いで千代の富士も亡くなりましたね。余りにも若すぎましたね。

 膵臓ガンはなかなか見つけ難いらしいですね。胃カメラのんでも分らないらしい。

 初期症状は みぞおち周辺・わき腹・背中に痛みを感じる。 消化不良を起こしやすい。 皮膚や白目の部分が黄色くなる黄疸がでている。 急にお酒が弱くなる。 体重が減少する。 食欲不振。 糖尿病患者の場合、病状が悪化する等。

 日常、気をつけて早めに診察を受ければ良いですね。食欲不振もないし今のところ大丈夫かな?  

 

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 ところで、切り花用のパインアップルをぽん太の仏壇に飾ったのが7月5日。

 水切りをしてだんだん茎が短くなって来たものの、まだ生き生きしているので鉢に植えたらどうかしら?

 ネットで調べてみました。

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 この様にすれば良いそうで、根付かなかったらそれまでよ、と 思い切って首のところで切りました。食べられそうに瑞々しかったですよ。

 切り口を明るい日陰で3日間乾かす、とあるので早速ベランダに出してみました。

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 既に根元にいくつかの新芽が出ています。片方はその新芽を切りましたがもう一方はそのままにしてあります。この新芽を落とした方が良いのか、残した方が良いのか解りませんが、兎に角乾いたら鉢に挿してみようと思います。 

 

 

 
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